製作者の行動が作品の面白さを毀損することはある

俺は吉本ばななの作品についてはエッセイを少し読んだ程度なんで、そこはさっ引いて下さい。
lakehill on Twitter: "ばなな居酒屋騒動で「吉本ばななは読者を失った」とか書いている奴がいたけど、小説の面白さと作家の人間性は関係ないわけだから、小説家の人格がクソだから、読むのをやめるという発想がわからない。ぶっちゃけ、作品が良ければ人間性なんてどうでもいいだろう?"
はてなブックマーク - lakehill on Twitter: "ばなな居酒屋騒動で「吉本ばななは読者を失った」とか書いている奴がいたけど、小説の面白さと作家の人間性は関係ないわけだから、小説家の人格がクソだから、読むのをやめるという発想がわからない。ぶっちゃけ、作品が良ければ人間性なんてどうでもいいだろう?"
ここらへんの発言を見て少しもにょったので。


作者の行動の浅さが露見する事が、ファンにとって作品の面白さを見失わせる可能性はあるんじゃないかと思う。


製作者と作品は確かに別なんですが、製作者の行動でファンが作品を楽しめなくなるパターンというのは多々存在します。
このパターンで、過去どれだけファンの怨嗟が世にあふれたことか。
推理小説家が犯人バラす、なんてのはさすがに安易な例ですが。


俺の体感した実例だと初代GPMと芝村裕吏
初めてプレイした初代GPMは、(死ぬほどバグ満載だったとはいえ)本当に新しいゲームの方向性を感じるくらい「面白いゲーム」でした。
しかし、情報を集めるためネットの海を漂うと、現実の芝村氏はゲームプレイに片っ端から水を差す行動を延々と続けていて*1、俺の「楽しさ」はガンガン破壊されていきました。
今ではもうGPMを最初にやった時の「ワクワク感」は得られません。涙も枯れ果てた。
他にも、故栗本薫のファンとか、話を聞けば8時間位ぶっ続けで愚痴ってくれる人々は各地に存在するはず。


それぐらいで冷めるなんてたいした作品じゃない・たいしたファンじゃない、と言うのは簡単ですが、人間そう割り切れる物じゃありません。
製作者が聖人君子である必要はないですが、作品と製作者は別だから製作者の行動は作品の面白さに全く影響しない、というのも机上論じゃないかなと。
特にネットのおかげでこれだけ送り手と受け手の距離が縮まると、その手の事例も多くなりそう。


まあ作品を知りもしない人に無関係な方向で叩かれてファン激怒、というパターンも多々ありますけどね…

*1:説明するのは大変ですので詳細は省きます。みのうらさんの記事とか、「GPM 公式」で検索した結果等を参考に。