マナーによる制限はコストが高いから筋が良くない

id:natukusaさんへの返答。
けろりん手帳 - 「オンラインブックマーク禁止」に対する一般(というかはてブ民)と、女性向けオンライン同人との意識の差
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natukusa ブコメが残念 「お前らが対処するかどこかにいけ」に疑問はない?なぜ対処する事態に陥ってるの?その重みはこちらが追うべき責任として正当?ねえ、「無難にしとけ」は時に「理不尽があっても反抗するな」ではないかしら? 2010/05/08

torin 揉め事, ネットワーク id:natukusa 自分が公開した情報に対する責任は公開した本人に属します。閲覧側がなんら責任を追うものではありません/閲覧制限のコストを閲覧者側に転嫁するといのは WWWの思想に反します

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natukusa id:torin その通りです。だから「『こうしろ』という表現をした人」にも同様の「公開した情報に対する責任」が生じると私は考えます。このコメントを見て生じた何かの責任を、我々は閲覧者のそれに転嫁できません。

「場の空気による抑圧論」と「WWWでの情報公開とマナー」の話が混線してしまっているような。

マナー縛りは高コスト

WWWでは、「SBMするな」というマナー縛りは、「見せたくないなら発信側が制限しろ」より圧倒的に理不尽なんです。

  • 発信対受信は、一対多の構造になっているため、受信側各自に制限を強いる事は発信側が制限する事よりコストが非常に高い
  • 情報公開の責任は発信側にあるため、情報のコントロール責任は原則発信側が持つ
  • 公の場であるWWWにおいて、私的ルールを広範囲に適用すべきではない

「マナーによる縛り」が反発を受けやすいのは、それが読み手及びWWWという場そのものに見えないコストを強いるからです。
「マナー」という言葉は、単語自体が正のニュアンスを帯びているため、正しいと思われがちですが、その言葉裏には強い抑圧性を含んでいます。
「俺マナー」といった揶揄はその裏返しです。
「これぐらい大したことない、やってくれてもいいじゃないか」という感覚は、大人数の公の場であるWWWでは通用しません。
「お前らが対処するかよそに行け」という言葉に抑圧を感じるのであれば、マナーの提示という行為がWWWという場にどれだけ負担を掛けているのかも考慮すべきです。

場の空気問題と手続きの話は別

「こうしろ」が「アクセス制限を公開側で掛ける」とか「クローズドな場所を選択する」等を指すのであれば、それは「マナーによる縛り」よりも容易かつ低コストな手段だから妥当と考えます。
そこに抑圧性を読み取るか否かはまた別問題です。
「場から追い出すこと」の方便として手続きの提示がされるという可能性はありますが、場の抑圧と手続きの妥当性は分けて考えるべきです。

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y_arim メタブクマの翼 批判の意図はないが、id:torinは言うまでもあるまいがid:natukusaも、裕楽氏のサイトで想定されている「同好の士」でなければこの件については部外者なのかもと思った。徹底的に一般論や原理原則に馴染まない世界だと思う 2010/05/09

あの界隈は、明文化されていないルールが非常に多いため、俯瞰だと見えない関係性や場の空気といったものは確かに多いかも。
ただ、オープンな場でのマナーの設定は、その容易さに比較してそれの持つ加害性は中々考慮されないのが、一部WWW寄りの人間をいらだたせるんだと思います。
「俺ルール設定して押しかけて来ておいてこっちの都合はおかまいなしかよ」感というか。
WWWでの公開における「場の広さ」の感覚に大きな差異が生じている以上、この軋轢は避けるのが困難なのは確かなんですけどね。
十何年も前から繰り返されてる問題ですが、そもそもクローズドを志向する界隈の性質から、id:otsuneの提示した理想的な流れには中々向かないのが不幸の一端かも。
void GraphicWizardsLair( void ); // はてなダイアリー - ひとりごと。:「そういう同じ嗜好の人には見られたくても一般人には見つかってほしくない同人ニーズ」